大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)524号 判決

控訴人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

渡辺司

外三名

被控訴人

稗田康夫

右訴訟代理人

弘中悖一郎

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人の控訴人に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人が昭和四六年六月一七日午後八時二〇分頃、東京都渋谷区渋谷一丁目二四番先明治通り歩道上で、警視庁警察官甲斐譲児及び芦馬賢治により警視庁機動隊員に対する投石行為の現行犯人として逮捕され、新宿警察署に留置された後、東京地方検察庁検察官の東京地方裁判所裁判官に対する勾留請求によつて同月二〇日から原判決別紙(一)のような被疑事実により引続き同警察署に勾留され、同検察庁検察官の取調べを受けたうえ、同年七月九日原判決別紙(二)のような公務執行妨害の公訴事実により起訴されたこと、第一審の東京地方裁判所は昭和四七年七月二七日被控訴人に対し懲役六月、執行猶予一年の有罪判決を言渡したが、控訴審である東京高等裁判所は昭和四八年五月一八日右判決を破棄して被控訴人を無罪とする判決を言渡し、同判決は上告されることなく確定したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二被控訴人は、警察官甲斐、芦馬の両名が被控訴人を違法行為集団の一員として逮捕しようと考え、なんらの被疑事実もないのに、機動隊員に対する投石の虚偽事実を捏造して、被控訴人を違法に逮捕(でつちあげ逮捕)した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。従つて、右主張は採用の限りではない。

三そこで次に、甲斐、芦馬両名が過失により被控訴人を誤認逮捕した旨の被控訴人の主張について判断する。

(一)  誤認逮捕について

被控訴人が昭和四六年六月一七日沖繩返還協定に反対する集会の開催された宮下公園に赴いたこと、デモ隊と機動隊との衝突により同公園前明治通り路上が著しく混乱したこと、同公園内にいた一部の者から本件歩道橋上の機動隊員に対し投石があつたこと、警察官甲斐、芦馬両名が黒沢警部とともに私服で採証・検挙等の活動にあたつていて、同日午後八時一二分頃から本件階段附近の明治通り歩道上に位置し、本件歩道橋上の機動隊員に対する投石を観察していたことは、当事者間に争いがなく、右事実に〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  被控訴人(当時、東京大学大学院生。二三歳)は昭和四六年六月一七日、前日の新聞と当日東大正門前で配布されたビラにより同日宮下公園において沖繩返還協定に反対する集会があることを知り、これに参加する気持はなかつたが、のぞいて見ようと考え、午後七時頃肩書住所の自宅を出て渋谷駅に至り、午後七時四五分頃同公園原宿寄り入口に到達したところ、既に集会が終了し、参加者約一、〇〇〇名がデモ隊の隊列を組んで公園入口から明治通り車道上を渋谷駅方面に向け進んでいたので、しばらくデモ隊の行進を見た後、明治通り歩道上をデモ隊と並進する形で渋谷駅方向に引返しはじめた。

(2)  ところが、被控訴人が本件歩道橋からやや渋谷駅寄り附近に至つた際、前方でデモ隊の先頭部分が警備にあたつていた警視庁第八機動隊と衝突し、デモ隊の列が崩れて右機動隊の検挙活動に追われながら原宿方向に逃走しはじめたため、附近の明治通り路上が著しく混乱したので、被控訴人は約一〇〇名ないし二〇〇名の群衆とともに午後八時過ぎ頃本件階段を昇り宮下公園内に入つた。

(3)  しかし、デモ隊の一部は本件歩道橋にのぼり、検挙活動にあたつていた第八機動隊員に対し投石を始めたので、同機動隊支援のため来合わせていた第一機動隊の一個中隊数十名が午後八時一〇分頃明治通り東側歩道上階段から本件歩道橋にのぼり、投石者を排除しながら同公園入口の方に進んだところ、さらに公園入口附近にいた者から投石を受け前進することができなくなつた。そのため、右機動隊員は本件歩道橋中央附近で盾を構えて防禦態勢をとつたが、公園入口附近にいた約二〇名の者から引続き投石を受けた。

(4)  警察官甲斐、芦馬の両名は、当日他の十数名の警察官とともに、黒沢警部の指揮を受けて私服で採証・検挙等の活動に従事していたが、その途中他の警察官と離れ、右警部と三人で、午後八時一二分頃本件階段附近に到着して、明治通り西側歩道上から、本件歩道橋上の第一機動隊員に対する前記投石を観察していた。

そして、間もなく被控訴人が右公園を出て、本件階段を降り、渋谷駅の方に向つて明治通り西側歩道を歩行中、警察官甲斐、芦馬の両名により、被控訴人が右階段を降りる途中で歩道橋上の機動隊員に対し投石をしたとの被疑事実のもとに現行犯逮捕されたことは、当事者間に争いがない。

ところで、被控訴人は、右のような投石をした事実はなく、被控訴人が本件階段を降りる際、投石から保護するため両手で頭をかかえるようにしていた行為を周囲が暗いため投石したものと警察官が誤認したのであると主張し、控訴人はこれを争い、被控訴人が本件階段の上から歩道橋上の機動隊員に対し一回投石し、さらに踊り場に降りてきて再び投石した後、ゆつくりと降りてきたものであつて、犯行を誤認したものではないというから、考えるに、本件証拠を総合して検討すると、以下に判示するように、被控訴人が本件階段を降りる際、投石の下をかいくぐるような状態で両手を離して上に挙げ、後頭部をかばうような一見投石動作類似の格好をしたこと、前記警察官甲斐、芦馬の両名がこれを現認し、とつさに被控訴人が投石したと判断したことは認めることができるが、被控訴人が実際に投石を行つたことを認めるに十分ではない。

先ず、本件階段及び甲斐、芦馬両名が観察していた地点等の位置関係について見るに、〈証拠〉によれば、本件歩道橋(宮下第一歩道橋)には明治通り西側歩道からこれにのぼる階段があり、右両名は同階段下の右歩道上の車道近くに、車道を背にして並んで立ち、宮下公園入口(中央口)附近からの本件歩道橋上の機動隊に対する投石を観察していたこと、本件階段は、本件歩道橋の約二メートル手前に同歩道橋と並行して造られてあり、右両名のいた地点の右前方約一〇メートルの地点から一七段のぼり、いつたん踊り場(奥行6.05メートル)に出、さらに九段のぼつて宮下公園入口に至る幅6.30メートルの広い階段(両側に高さ約一メートルのコンクリート側壁がある)であること、前記両名のいた地点と本件階段の間には見通しを妨げる障害物はなく同地点からは、本件階段の左側部分を除き、階段下部から上端まで見通しが十分であること、本件歩道橋には街灯が二基(一つは前記歩道の上方、他は本件階段の踊り場の右上方)存することが認められる。

次に、原審証人甲斐譲児、同芦馬賢治は被控訴人が宮下公園入口から本件階段を二、三段降りたところと踊り場で本件歩道橋上の機動隊に対し二度投石の動作をしたのを現認し、相互にこれを確認した旨供述しており、被控訴人本人も原審において、本件階段を降りる時は駈け降りたが、その際、投石の下をかいくぐるような状態で手と手を離して両手を頭の上に挙げ、後頭部をかばうような格好をしたと供述し、また、〈証拠〉によると、被控訴人は、本件の刑事第一、二審の被告人供述において、被控訴人が昭和四六年七月一五日(保釈の翌日)友人とともに日中本件現場に赴き、本件階段を降りた時の状況を再現してみて検討したところ、両手を挙げて駈け降りると、とくに踊り場附近では、上下動や左右の振れがあつて白昼でもあたかも手が震えて投石したのではないかと見えることが判明した旨述べていることが認められる。これらの点からすると、少なくとも、被控訴人が投石の下をかいくぐるような状態で両手を離して上に挙げ、後頭部をかばうような一見投石動作類似の格好をして、本件階段を駈け降りたこと及び警察官甲斐、芦馬両名がこれを現認したことは、確かな事実として認められ、右警察官両名が右を目撃してとつさに被控訴人が投石したと判断したことも、四囲の状況からして理解できないことではない。

そこで、被控訴人の投石行為があつたかどうかについて見るに、原審証人甲斐譲児、同芦馬賢治は、被控訴人は宮下公園入口から本件階段を二、三段降りたところと踊り場で二度本件歩道橋上の機動隊に対し実際に投石を行つたのを目撃した旨供述しており、〈証拠〉にも同旨の記載がある。ことに、被控訴人を逮捕した翌日逮捕警察官の一人である芦馬賢治が作成した現認報告書には、一回目の投石の際被控訴人は右手で玉子大の石を投げ、二回目には右手に持つていた手拳大の石を大きくモーシヨンをつけて投げたと記載されており、同警察官の検察官に対する供述調書には、一回目の投石は足でステツプを踏んで馬力をつけて投げた、二回目の投石は弧をえがいて機動隊に向つて飛んで行つたと記載があり、警察官甲斐譲児の検察官に対する供述調書にも、一回目の投石は機動隊に向つて少し低く向つて飛んで行つた、二回目のは一回目よりも高い角度で飛んだとの記載があつて、いずれも、目撃内容が相当具体的に記載ないし供述されていることが認められる。しかし、被控訴人は逮捕以来、刑事第一、二審の公判を経て今日に至るまで、昭和四六年七月一日、同月三日の検察官の取調べの際の各供述(成立に争いのない乙第八、九号証)を除いては、一貫して、投石と誤認されるような動作のあつたことは認めながらも、投石行為そのものは強く否定しているのであつて、右乙第八、九号証も、これら供述調書が唯一の自白調書でありながら刑事公判においては第一、二審いずれもにおいて裁判所に提出されなかつたこと、被控訴人が前記のように保釈の翌日本件現場に赴き、当日の状況を再現してみて、自己の不審を確かめていること及び原審における被控訴人本人の供述からして、それらが任意の供述であるかどうか疑問の余地があり、被控訴人の投石行為否定の態度の一貫性を中断したようなものとはみなされない。このことと、被控訴人が本件階段を降りた時刻が夜間であつて、歩道橋上に街灯があつたとしても、公園を背景にする現場の明るさはおのずから限られること、〈証拠〉によれば被控訴人の当日の服装は、ねずみ色長袖シヤツ、黒色ズボンに茶色の靴であつたこと、宮下公園入口附近からは本件歩道橋上の機動隊に対し激しい投石が行われていたこと、被控訴人が投石したとすれば、本件階段と本件歩道橋の間隔(前記のように約二メートル)とその上下差からして、一回目は約一〇メートル先、二回目は約五、六メートル先の目的物に向つて投石したことになるが、このような近距離ないし至近距離の目的物に対する投石状況を相当離れた地点から夜間上記のような明るさ及び状況のもとに見る場合、投石類似の動作からでも投石と見えてしまう可能性がないとはいえないこと、ならびに〈証拠〉によれば、当日の集会に参加し、検挙された者は反帝学評・ブンド・フロント等各派に所属する者であつたことが認められるが、被控訴人がこれらセクトあるいは他のいずれかのセクトに所属していたことは証拠上認められず、被控訴人は本件階段を降りる際単独であつたことをあわせ考えると、前記甲斐、芦馬の証言及びこれと同旨の乙号各証の記載中の被控訴人の投石行為に関する部分は、投石の現認者が一人ならず二人であり、相互に目撃状況を確認し合つたことを考慮にいれてもなお、たやすくは措信し難いといわざるをえない。他に、被控訴人の投石の事実を肯認するに足りる証拠はない。(なお、当証人渡辺岩吉も、その証言及び刑事第一、二審における証言を通じ、被控訴人の投石を否定しているが、これら証言によれば、同人が本件階段を降りる被控訴人を認めたときは、同人も東京大学大学院生でありながら被控訴人は全く未知の人であり、その後二か月近く経過した昭和四六年八月頃被控訴人の来訪を受け、被控訴人が本件当日本件階段下で同人を見かけたことを聞いて、初めて本件階段を降りて来たのが被控訴人であることが判明したというのであるから、被控訴人が本件階段を降りて来たときの状況についてどこまで正確に記憶を保持していたかどうか疑わしく、被控訴人を見たという位置についての供述にもあいまいな点があるので、右証言、書証はいずれも当裁判所が事実認定の資料として採らないところである。)

してみると、警察官甲斐、芦馬の両名は、被控訴人の投石動作類似の挙動から投石行為があつたと誤認したものと認めるほかはない。

(二)  過失について

被控訴人は、右警察官両名の誤認逮捕は過失によるものであるという。

刑訴法二一二条一項は、「現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。」と定め、同法二一三条は、「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。」としている。右現行犯人の覚知は通常目撃によつて行われようが、事は相手方の基本的人権にかかわることなので、逮捕者には情況に応じた注意力が要求され、ことに逮捕者が警察官である場合は、職責上とくにそうであることは、いうまでもない。

しかしながら、本件のように機動隊に対する激しい投石が行われている四囲の情況の中で投石の現行犯人を現認しようとする場合には、投石行為は瞬間的なものであるから、現行犯人と認めたことがその時点の具体的状況の下で合理的であると認められる限りは、結果的に誤認であるにもかかわらず、逮捕警察官に右注意力を欠いた過失があつたということはできないと解するのが相当である。

本件について見るに、前認定の事実関係においては、警察官甲斐、芦馬両名が被控訴人をその挙動及び四囲の情況からして投石の現行犯人と認めたことには、その時点における具体的情況の下で相当な理由があつたと認めることができる。そして、右両名が観察任務の遂行にあたつて、注視を怠つたり軽卒な観察をしていたようなことは認められないから、右両名が被控訴人の投石行為を誤認したことについて過失を認めることはできないというべきである。

なお、右警察官両名は被控訴人を本件階段下で逮捕したものでなく、被控訴人がさらに渋谷駅方面に向つて明治通り西側歩道を歩行中逮捕したことは前記のとおりであるが、〈証拠〉によれば、これは、警察官甲斐、芦馬両名のいた地点附近の歩道上、車道上に他の警察官が見当らず、警察の自動車もおらず、近くに十四、五名の野次馬がいるばかりであつたので、私服姿の右両警察官はその場で逮捕すれば野次馬から妨害されるおそれのあることを考慮し、黒沢警部に告げた上、渋谷駅方面に向つて歩行する被控訴人を追尾し、当初右両名のいた地点から数十メートル先の歩道上で逮捕し、来合せた警察の護送車に収容したものであることが認められるから、逮捕の手続においても問題とすべきところはないと認められる。その他、被控訴人が右甲斐、芦馬らの誤認逮捕における過失として主張するところも、前示の事実関係に照らし過失を肯認するに足りず、他に全立証に徴しても右警察官らの過失を認めることはできない。

四以上のとおりであつて、被控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却すべきである。よつて、民訴法三八六条により右と結論を異にする原判決(控訴人敗訴部分)を取り消し、被控訴人の控訴人に対する本訴請求を棄却し、同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(大内恒夫 新田圭一 真榮田哲)

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